「なるほど、やってみましょう」
おいおい、またも余計な寄り道をするというのかお前は。
お任せ下さいと己の胸を叩く仕草をして見せる様を見て、エメトセルクは本日何度目か知れない溜め息をついた。
ノルヴラントに点在する大罪喰いを悉く討ち祓い、大きく光に寄った世界に闇を取り戻す。それこそがこの者が自ら好き好んで背負い込んだ果たすべき大儀である筈で、なりそこないどもの些末な悩みに手を貸しているような暇は本来ないはずなのだが。
放っておけばよいものを、街角で迷い犬を見つけては飼い主を探してやり、ある時は頼まれた忘れ物を届け、時には羽虫たちのくだらない遊びにも快く付き合ってやり。
この〝お人好しの英雄様〟の進む道を黙って見守り見極めるのだと自ら決めたからには、その行動に何を言うつもりはない。そのつもりはない、が。
(……ああ、厭だな)
その魂の色は、あまりにも。
「やぁやぁ、今日も精が出るね。偉大なるエメトセルク」
カピトル議事堂には、十四人委員会の座に就いた者にそれぞれ与えられる執務室がある。
エメトセルクは今日もきょうとて、己が執務室のデスクに山のように詰み上がる書類に埋もれていた。
コンコン。扉を軽快に叩く音がして厭々顔を上げると、見知った魂の色が見えて、こめかみを軽く揉んだ。
「……ヒュトロダエウス。今度は何のやっかいごとだ」
「そうやって何でも決めて掛かるのは良くない癖だよ、君」
「八割はそうだろうが」
お前が無駄に畏まって呼ぶ時は大抵が録でもないものを押し付けてくるときだ、とエメトセルクはやれやれと頭を振った。
「そんなに多いかなぁ」
軽く腰を折ってくすくすと笑ったヒュトロダエウスは、今日は本当にそういった用向きではないのだと口の端を優しく吊り上げた。
「この部屋から見る夕焼けはいつも美しいね」
大きな窓からは黄昏時のアーモロートがよく見える。じわじわと闇に呑まれていく過程の橙と深い青のコントラストが美しい。確かに景色が良いという点だけはエメトセルク自身もこの部屋を気に入っていた。
「それで?厄介ごとでないというなら、何の用なんだ」
お遊びに付き合っている暇はないことぐらい、デスクに積上がったタスクを見れば誰の目にも明らかだろう。
「ふふ、ちょっと君も休憩したほうが良いよ。変わった茶葉を手に入れてね」
壁際の戸棚からエメトセルクが愛用しているサモワールと茶器をいつものように取り出したヒュトロダエウスは、持参した茶葉の包みをティーポットに入れて、水差しからポットに少し多めに水を注いだ。
「ほう、珍しいものなのか?」
「私も初めてでね。まぁゆるりと待っておいでよ」
湯沸かしなどエーテルを自在に操れる者なら瞬きほどの間があれば本来簡単に用意ができるのだが、茶葉はゆっくりと蒸らしたほうが味がよくなる。
物事にはあえて時間をかけるべきものもあるというエメトセルクの主張を、ヒュトロダエウスはいたく気に入っており、そのこだわりを尊重していた。
「ふむ。香りはまぁ悪くないな」
茶葉が開いて十分に抽出されたポットからカップに注ぐ。薄めの飴色をした液体が白磁のカップをほどほどに満たすと少し甘さも感じる香りが鼻腔をくすぐった。
エメトセルクはカップを摘まむようにして持ち上げると、どれ、と口許に運んでひとくち啜った。
「?!…っげほっ……な、っんだこれは!」
吹き出すのをギリギリ回避して口に含んだ分だけはなんとかそのまま飲み込んだエメトセルクは、しかし仮面の下でうっすらと涙をうかべた。
その香りから甘めの味を予想していたこともあるが、あまりの苦さに悶絶したのだ。
「あぁ、やっぱりそういう味かぁ。そんな気はしていたのだけれど」
自身は口をつけず、持ち上げかけたカップをそのままテーブルに置いたヒュトロダエウスは未だに呻いているエメトセルクを見やってくすくすと楽しげに笑っている。
「……おい、これはどういうことだ。ヒュトロダエウス。説明しろ」
「このお茶はあの人からの差し入れだよ。君に是非飲ませてほしいと頼まれてね」
今朝方、いつものように創造物管理局に向かう道すがら、ヒュトロダエウスはアゼムとばったり出会った。かの人はまたこれからどこぞへ赴く途中であったようだが、最近仕事で根を詰めているエメトセルクへと、ローブの下から取り出した茶葉の包みを託してきたという。
「なんだったかな……ナントカという地の特産の健康茶でね、滋養にいいとかなんとか。とても君のことを心配していたよ」
まぁお茶の味のことは何も言ってなかったけど。ヒュトロダエウスは未だうっすら怒気を纏ったままの親友の様子にまたコロコロと笑った。
「アイツ……そして、お前も!そんな大事なことを、なぜ先に言わない」
アゼムが持ち帰ってきた旅の土産とやらが、まともだったことは数えるほどしかないことは知っているだろう、とエメトセルクは非難した。
「だって君、先に言ったらどうしたって構えるだろう?いやぁ、うん。良薬は口に苦しというやつだねぇ」
あの人の好意を優先しただけのことさ。友からの好意であるといわれてしまうと邪険にするのも憚られる気がしてしまうのは何の弱みか。
机に積みあがる山盛りの仕事にはアゼムのやらかした後始末もいくつか含まれており、いい加減悪気がなければ何をしても許されるというものではないというのは理解いただきたいものなのだが。
エメトセルクは深い溜め息をついてカップを手に取ると、ええいままよと一気に煽った。
「っく、……飲んだぞ。コレで文句はないだろう。お前も早く飲め」
いやぁ君も男前だねぇ。暢気に拍手をしていたヒュトロダエウスは慌てて手を横に振って遠慮の意を表した。
「え? ……いや、これは君への差し入れだからさ」
先ほどのエメトセルクの反応を知ってなおも飲みたいと思うかと口に出しかけて、赤い仮面の奥の表情が透けて見えそうな程に熱い視線で見つめられていることに気づいた。
「そんなもの、我らの友からの差し入れとあらばお前も道連れに決まっているだろう。元はといえばお前が持ち込んだんだ。飲めないとは言わさんぞ」
降参だと言いながら両の腕を挙げたヒュトロダエウスは、いやに急かしてくるエメトセルクになおも可笑しそうに声に出して笑うと、ひとつ頷いてカップに手を伸ばした。
〝お人好しの英雄様〟との旅路は、真なる人から見れば実に無駄が多く、罪喰いを屠る度に徐々に光に侵されてゆく魂の状態が嫌でも視えてしまうだけに、そのあまりの悠長さと愚かさに厭気がさしてくる。
(……暢気なことだな、本当に)
アゼムはあの頃から気づいたらどこぞへの旅立ってしまうのが常だったが、たまには友として頼ってくれればいいものを呼び出されることは終ぞなかった。
その後ろについて世界を見て歩く機会がもしあったとしたら、こんな感じに寄り道だらけの旅路だったのだろうか。
うっかり詮無きことを考えてしまってからエメトセルクはゆるゆると頭を振った。
アイツとこの者は、たとえ元々の魂が同じであろうとも別の存在だ。
「…ク……セルク、ちょっと! 人の話を聞きなさいよ」
「……うん?アリゼーとか言ったか。何だ」
細長く編み込んだ髪を揺らし腰に手を当てて、半ば睨み付けるように見上げてきたのは〝暁〟の双子の、たしか妹のほうだった。
「ちょっと休憩にするけど、アンタもお茶でいいか、ですって。あの人が呼んでるわよ」
はて、一体どういう風の吹き回しだと首を傾げるだけで一向に応えないエメトセルクに業を煮やしたアリゼーは、あの人の頼みで無ければお前などに声は掛けない、とキャンキャン吠えかかった。
「お茶だと?……ほんっとぉぉぉに、英雄殿は誰にでも、お優しいことですねぇ」
いくら休戦状態であるとはいえ、この者らから見ればエメトセルクは仇敵たるアシエンであろうに。
「その点については私も同意見だけど。仕方ないでしょ、そういう人なのよ」
お茶ねぇ。眉をひそめたエメトセルクであったが、ふと昔の懐かしくも文字通り苦い記憶を思い出して、思わず小さく吐き出した。
「……それは、普通の茶なんだろうな?」
「なにそれ。それどういう意味よ?」
遠くから呼ぶ声がする。アリゼーから視線を離して声がする方に目を向けると笑顔で大きくこちらに手を振っている英雄の姿が見えて、一瞬、かつての友の姿と重なった。
(嗚呼、本当に厭になる)
その魂の色は、あまりにも。
彼の人に似て。