ついに せかいにへいわをとりもどした えいゆうは
ひとしれず あらたなせかいへ たびだちました
幼い頃から『物語』が好きだった。
己が氏族に伝わる古の伝承や、流しの吟遊詩人の紡ぐ夢物語、祖母が何度も読み聞かせてくれた絵本の中のある冒険譚にはいつも胸を躍らせたものだ。
忌むべき紅の魔眼とその血に隠された謎の解明のため、ひとりシャーレアンの門を叩き、賢人となるまでに至ったのも、ひとえに物語への憧れが原動力であったと言えるかもしれない。
神殺しの異名をとりつつも未だ一塊の冒険者のひとりであった英雄との出逢いは、今にして思えば原初世界にとっては然るべき運命だったのだろう。
クリスタルタワーの堅牢な大扉を、アラグへの道を、ついに切り開いてみせた冒険者は、絵本の中の戦士と同じ横顔をしていた。
嗚呼、いつかの日に憧れた物語の始まりに、今まさに立ち会っているのだ。
興奮に打ち震えたあの日のことを、グ・ラハ・ティアは、昨日のことの様に覚えている。
「あなたのことを、私はたぶん…知っていると思います」
ついにとこしえの白夜を祓って世界に星空を取り戻しクリスタリウムに英雄たちが帰還した夜、ライナが二つのグラスを手に近付いてきた。
手渡したグラスで小さく乾杯をして、夜空に輝くクリスタルタワーを望む橋の上で空を見上げたライナは「あなたとゆっくり話すのは、実は初めてかもしれませんね」と笑って長い耳をピクリと動かした。
「この任に就いてから出会った人にはあまり信じて貰えないのですが、小さい頃の私はそれはもうとても泣き虫で。親代わりになってくれた公がよくあやしてくれたんです。膝の上に私を乗せて、たくさんの物語を話してくれました」
クリスタルタワーの秘密や、優しいドラゴンと氷の巫女の物語、砂の亡国を取り戻す戦記や、ひょうきんナマズの不思議の国に伝わる伝承等々。
水晶公の部屋には沢山の本があって、まだ小さかったライナには読めなかったが、お気に入りの物語は何度となく彼に強請ったことを懐かしく覚えている。
「公も読書がお好きだから、子どもにも分かるように噛み砕いて読み聞かせてくれているのだとそう思っていたのですが。大人になってから自分でも読んでみたくてモーレンに聞いてみたら、そんな物語は知らないと言うんですよ」
幼き日、水晶公のその傍らで確かに耳にした筈のたくさんの物語。あの図書館の主が知らないことがあるだなんて不思議に思って公に聞いてみても、彼は困った様にはにかんではぐらかすだけでその謎は解けず。
やがて罪喰いとの戦いの日々が始まり、ゆっくり読書どころではなくなってしまいそのまま忘れていたのだが。
ある日、『その人』はどこからともなくあらわれた。
また新たに現れた“水晶公の同胞”の名を聞いた時、ライナの記憶の中を軽やかな風がさっと通り抜けた。彼の声が紡いだ幾つもの物語には不思議とひとつの共通点があって、決まって同じ名の強き人が登場する。
同じ名を持つ異邦の者との出会いは、果たして偶然だろうか。
『レイクランドにも、来てくれたらいいのに』
そんな強くて優しい人がもし来てくれたら大罪喰いをやっつけてくれるかもしれない。怖い夢だってもう見なくなるかもしれない。まるで伝説の闇の戦士様みたいな、そんな誰かが。いつの日かあらわれたら。
『もちろん…なら、来てくれるさ。必ず』
幾多の物語の中で人々が困った時、救いを天に願った時、決まって光の如くあらわれるお人好しの強き人。その人の名は。
「あなたと同じなんですよ」
まさか本当に、かの強き人と同じ名をもつあなたが伝説の闇の戦士様だとはまではその時は思いませんでしたが。
かくしてこの地もまた、ひとりの英雄に救われたのだった。そしてかの人が活躍する物語の締めくくりもまた、いつも決まっている。
「きっと、また旅立たれるのですね」
あなたを待つ新しい世界へ。夜を取り戻したこの世界を去る日は、別れの日はきっとそう遠いことではないのだろう。
ひとつの物語の終わりとはじまり。またひとつあなたは、この目の前で奇跡を起こしてみせた。
お開きになる気配のない祝いの席を喜びの夜をそっと抜け出して、水晶公は…グ・ラハ・ティアは自室に戻ると雑に積み上がったいくつもの本の塔を見定めた。
こんな輝かしい夜に紐解くべきは、やはりすべての始まりに続く「ノアレポート」だろうか、それともかの英雄の冒険譚として後世でも名高い「竜詩戦争」の一冊だろうか。
ここにある本の殆どは、時を超える遠く遙かな旅路に際しての餞別として、この計画の確かな決意の証として、各々の宝物を託してくれたものだ。
そらんじることができるほどに読み込んだ本たちは紛れもなくこの長い旅路の心の支えであり、希望だった。
もしこの計画が本当に成ったら…この老体が運命に耐えて生きながらえることができたなら。是非やりたいことがあった。
かの人の此度の冒険の記録を、私の英雄の新たな物語を、この手ですべてを書き記し書庫の一冊として加えたい。
世界を救っただけでなくオレの夢を何度でも叶えてくれるあなたは、やはり憧れの英雄そのものだよ。
「書き始めは…そうだなぁ」
どんな絶望の底にいても、立ち上がった人がいた。
終わりないはずの戦いに、終止符を打った人がいた。
その人の名は” ”